安倍晋三氏暗殺と貧困ビジネスとしての無敵の人

無敵の人は貧困ビジネス_安倍晋三氏の銃撃についての記事アイコン 未分類

安倍晋三元首相を暗殺したものを「無敵の人」というのだそうです。世代論が不満につけいる商売とはいえ、この悲惨卑劣な殺人でなお稼ごうとは。

過ぐる7月8日、安倍晋三元首相が暗殺されたことは、個人として、営業として、支持していただけに残念。怒りを感じています。

犯人に政治的動機はなく、思い込みと幼稚な善悪観から犯行に及びました。あきれるのはこの犯行と氷河期世代など低所得層を結びつけ「無敵の人」と称して不遇への理解を示してみせているものたちです。

不満をもつ人々に取り入ってカモにする。世代論とは不満にすりよることですが今回ばかりは呆れた。

「有名人」になりたい無敵の人

「無敵の人」と呼ぶものたちは無差別殺人など犯罪者をさして、善良だが貧しさゆえに希望を失い、失うものがなく、ゆえに人を殺すと論じます。本当は同情すべきだと。

同じ世代でかつ平均より低所得の私からすればこれだけでも無礼極まりない話ですが、現実の犯罪者をみれば実は無敵どころではありません。

有名になりたいのです、無名は無視の結果であり不幸とする。
それなら別に世代を選びません。この稼業でさんざんみたもので、わが国に増えつつあるものです。

実はそれを知っていて、「共感」し支持を集めようというわけです。
そのためには人殺しに言い分ありとすることもためらいません。

犯人を精神鑑定するとか。精神医学の点で「無敵の人」とやらが多くの氷河期世代に共通か、それとも病的か、無学な営業にはわかりません。

常に通じるのは欲です。自分を鋭く正しいとし、広く世間に名を知られたいという有名願望です。
そうであればこそ「道義的に殺していい相手」を勝手に決め、事件が派手なほどよい。

ただの劣等感・自分より幸せなすべてが悪い

一見正義の話だからこそ理由は明快です。彼らにとって、殺す相手は殺してもいいほど悪いか、自分を侮り虐げているものです。
侮り虐げている、とは自分より幸せそうにしていることが含まれます。
自分が得られないものを得ているから悪いというわけです。

メディアが悪人とののしる有名人か、反撃できない相手をしかも不意打ちで襲う理由であり、しかも全ての犯人が自分の行いには意味があると述べる理由でもあります。

しかしただの劣等感です。

それも差別されることに我慢できないのに、殺す相手は生きている価値がないと見下す愚かで卑しい性根です。

無敵と言われればさぞかし気持ちがいいでしょう、あらかじめそれを察した同情です。
始末の悪いことに劣等感が強まるほど他人が幸福に見えてきます。犯罪者だけのものではありません。

格差はあってあたりまえ

かつてもあったものの今こういう動機が増えた、といえば過去を知らないだけと言われますから言い方を変えます。

世間は常に自分を軽んじてくる場所です。
困ったことに自己評価は常に、最低でも3割増しであります。

昔も今も程度の差こそあれ、だから大多数は正しく評価されていないと感じて暮らしています。かつて普通であったものがこんにち格差と呼ばれるものになりました。

この商売でよく見ますが、日々不遇感をつのらせ立場の弱い相手に意地悪くするものは多い。
あるいは受け売りの高論卓説を語り、あるいは説教好きに出会うこと日常茶飯事です。

買ってもらうためには聴くのが仕事で、反論はできない稼業で、相手も知ってやる。
商売柄、その全てが今への不平不満であることは存じております。

他人に道を説くほどの快はない、そうして憂さを晴らすのです。

「分相応・分際」と「世界に一つだけ」

気の毒と思うのは世の中「分相応」や「分際」がより少なくなったということです。
会社から家庭まで、おかげで不幸な人が増えました。

学歴や仕事、容姿・年収など、そもそも世間は人を大雑把にしか見ないところで、個人など区別しないところで、そうと知ればおおかた耐えられますが、まともに受け止める人が増えた。

誰もが「かけがえのない、世界にたった一人のあなた」であります。
子供の頃から繰り返し吹き込まれ、長じてからもそればかりです。

しかし、私なぞまさにそうですが、しょせんは凡夫凡婦にすぎません。

お受験、ダイエット・他人を軽んじるは人の性

テレビも新聞も各人各様で無限の未来があるなどと耳ざわりのいいことを言うので次第と真に受けますが、長ずるにつれ世間が重んじてくれることなどないと気づく。

誰でもない、あなたはかけがえのない存在と吹き込んだ連中が軽んじ、

我ら自身も他人をそうして軽んじるのです。

でなければ大金を払ってまでして誰がお受験やダイエットなんぞに精出すはずがありましょうか。

いつの世も不満・不遇が大多数

営業は古い商売で、面と向かって代わりはいくらでもいる、あるいは出来が悪いから営業になった、と言われます。この手の扱いに耐えられない人は辞めていきます。

遅れの幸いというべきか、残る営業はまあそうだと納得していることです。
わざわざ諦めるまでもなく世の中は理不尽で、実際出来もよくないし、「今が分際」と心得ている。

はっきり申し上げれば営業を夢の職業と目指す人はいません。
配置替えで営業部門に回されると皆顔色を変えます。

「元から営業」は、だから大して傷つきません。

そもそも人を好遇不遇で分ければ、いつの世も不遇が大多数なのです。

世代論が必ず支持される理由ですが、古人は違い「分際」「分相応」と呼んでおりました。
処世の知恵です。

嫉妬と虚栄、そして貧困を商売にする世代論

他人を軽んじよ、といいたいのではない。長く軽んじられてきたものとしてむしろ逆です。しかし古今変わらず世間とはそういうものだといいたいのです。
嫉妬と虚栄こそ人の性、言わぬが花とあきらめているからです。

進歩した現代はかつてと違うとばかりにきれいごとだけを教え込めば、得体の知れない劣等感を秘めるものはなお増えるでしょう。

この怒りこそ世代論の稼ぎどころですからあのいかがわしさがわかる、昔からそうでした。

「高度経済成長期は皆幸せ」はつくりばなし

格差という言葉で付け加えますと、高度成長期からバブル景気の頃は幸せだったといいます。
ありゃ嘘です。

「三高」という言葉のとおり学歴・勤め先、さらには容姿による区別は露骨で、外れたと思い込むものの不満はさながら怨念のごときものがありました。
当然ですが三高ではないものが大多数であったことはいうまでもありません。

それを納得できないものたちは、夫や妻を責め、自殺者が出てもおかまいなしに子を受験で追い回し、あげく親を金属バットで、あるいは自分や他人の子の首を絞め、殺すものさえ出た。

すべて嫉妬と虚栄が原因です。

無敵の人は期間限定の貧困ビジネス

ことさらに申し上げるのは他の理由もあって、あれら犯罪者を指して無敵の人というのは、今のいっときだけだからです。

劣等感をくすぐる商売は旬が短い、すぐ次を探さねばならない。

本当に不遇の人々には大きな災いです。利用価値がある間だけの同情と思うべきでしょう。

商売上の宣伝にすぎないとわかるのは、かくいう私も営業にして氷河期世代だからであります。
数えきれないほどの侮りや意地悪を受けました、何度か倒産も経験し無職の怖さも思い知った。

それを知り尽くした上での同情です、昨今これを「貧困ビジネス」と申します。

氷河期世代・貧困層は同情に怒るべき

いつの時代も世の同情とは限りなく相手を見下して行われるものです。営業ですから、無敵の人などの世代論はとどのつまり「同情商法」だと思っております。

あれに怒る氷河期世代がいるのではないかと密かにみております。
営業と低く見られるのは慣れておりますが、あんな商売のカモにだけはされたくない。

ついでにいえば「気づかないだけであなたはもっと上」というのは売り込みの定番。効果のほどは進学塾や自己啓発セミナーでお分かりでしょう。
乗れば利用されて終わるでしょうと、物売りに長くあるものとして申し上げます。

ともあれつまらぬ男の卑しい性根によって安倍晋三氏は世を去りました、どんな言葉を尽くしても足りないほど国家にとり重大な損失です。

この死に乗じて商売など、しがない営業すらよくしないところであります。

なお日本にいれば実感はないながら現在(2022年7月)はさながら戦時です。難局にあって得難い人物を失ったことを思えば不安すら感じております。

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