ジャーナリストでなく「社員」・民意の反国葬と膨大な献花の差

記者ではなく「社員」アイコン・安倍晋三元首相の国葬反対デモと献花の列の矛盾について検証記事_西部邁・筑紫哲也・池上彰と、新聞社・テレビ局・マスコミの関係そして公正中立なメディアについて 未分類

暗殺された故 安倍晋三元首相の国葬について報道と巷説は真っ二つにわかれています。

テレビや新聞は大多数の国民は国葬に反対であるとし、献花者は数キロにおよんで10万人を超えたともいいます。
あまりにもかけ離れすぎ、どちらが本当かわかりません。

家に帰ってぼんやり、ふと気づいた。

献花を取材するレポーターや記者など報道関係者は九段下と四谷駅の周りに集まっておりました、皆仏頂面(ぶっちょうづら)です。

あれはジャーナリストではなく「社員」の顔
しかも割りの悪い仕事を押し付けられたもの特有の不景気づらであります。

「まばらな献花の列」と書けない、それゆえでしょう。いっぽうで反国葬デモをいきいきと取材する社員もいるわけです。

安倍晋三 元首相の国葬賛成を言えばテレビ局、新聞社に勤めるサラリーマンとして愚か

少々多い程度の献花者なら「安倍支持者、勢い盛んならず」ぐらいは書く。

撮るも書くも胸先三寸、今までそうしてきました。

上司の評価も上がる、しかしその得意技はやらなかった。
してみると献花者が圧倒的多数であったことはやはり間違いなさそうです。

エリート記者、というより「優秀な社員」は反国葬デモ取材

ジャーナリストでなくテレビ・新聞社の社員と考えれば「優秀な社員」にとって報じるニュースはおのずから決まっている。

献花より反国葬が勢い盛んであるほうが、そして国民の分断はあったほうが、会社からの覚えめでたいものです。

やるべきことはわかっていて、それができないからこその不景気面です。

いいかえれば「社員」「サラリーマン」が取材する以上
「反国葬は大多数の民意」はこの先も続くでしょう。

マスコミ志望は優秀、会社の欲するところは聡く早く正確に察してこそ

マスコミは人気業界、なりたい職業の筆頭です。
実際私のごとき出来そこないより、はるか能力ある人材が集まることは疑いありません。

しかしそれは個人の話、会社に入れば会社の理に従います。
聡いぶん察するところも平均よりはるかに早く正確でしょう。

数万の献花者が訪れ、国葬反対をはるか圧する勢い

などと書けば愚かです、将来に響く。

デモ参加者より日比谷公園のリポーターが活き活きしている国葬反対報道

国葬反対デモは日比谷公園から国会議事堂前であったといいます。

申してなんですが、どの会社でも社員には上中下の別がある。
これを見分けるのが我が商売のいやらしいところです。

日頃おぼえめでたい記者つまりエリート社員と目されたものは、命じられてあるいは望んで反国葬デモを取材したでしょう。
割りのいい仕事で、実際リポーターなる人たちは水を得た魚のごとく取材しています。

献花取材は二流の業務・やる気のない顔で満ちていた九段下と四ツ谷駅前

献花者を取材しても会社に気に入られるものは撮れない、書けない。
会社も有望な人材にそういう仕事はさせません。

九段下と四ツ谷駅の仏頂面は仕事にやる気をなくした顔です。

商売柄おなじみですが

その会社で二流の業務をあてがわれると人は自然ああいう顔になる。

だから献花者の多さに取材のまとめを悩む様子はありません、九段下にある我が身の不遇をかこつばかりです。

実際、反国葬の民意なるものとはまるでつじつまの合わない数万の献花者に答えを見出そうとする報道は皆無でした。

「報道の中立性」はせいぜい努力目標・契約でも約束でもない

なおことあるごとに公正中立な報道といいます。
これは文責や報じた映像へ責任を負うことを意味しません。

誤解されておりますが三菱電機日野自動車のごとき不正・偽装は天地神明に誓ってせぬ、という宣言ではない。

報じる各々が「偏るまい、公平であれかし、とつねづね思っております」という程度の、いわば努力目標です。

私自身も己の生業を省みれば、浮世で不偏不党なんてことができる訳がありません。
商売は世のため人のためなど言うほうがどうかしていて、営業に言わせれば商いが傾くまえぶれです

じっさい契約でもなし、マスメディアは偏っても不公平でも詫びません。
恐れ入ることすら稀です。

メディアは「中立・客観」を離れ、 開かれた「公正」報道を目指せ - 外岡秀俊|論座アーカイブ
朝日新聞に元気がない。そんな声を、しばしば耳にするようになった。 そんなことはありません。「森友学園」はどうです。「加計学園」報道はどうです。そう反論するのだが、どうも相手が問題にしているのは、特ダ

新聞テレビの記者、リポーターは常に「社員」・気にするのは社内の評価

しかしなんのへんてつもない会社であること三菱電機や日野と変わりはない。

下っ端は上が是非を判断するだろうとし

上は下っ端が間違いのない書類を持ってくるはずとしメクラ判を押せばいい

と思っているあたり、ごく普通です。

偏るし不正確・不公正もある、繰り返しますが記者でもジャーナリストでもなく「社員」です。

よほど察しの悪いものでない限り、言わず語らずのうちに書くべき内容は反国葬にする。
特に出世したいと意気込むものほどいちいち聞かずそうでしょう。

しかもメディア業界は特に賢く意欲のある人材を選んで採る業種なのです。

「社員」ならば国葬反対が偏向か事実かは問題ではない

会社が何を商売とするか、だけ知っておればサラリーマンとして大禍はない。
どころか出世を決める。

メディアの場合、商材は正義であり反権力です。

担ぐ商品でいえば、いまのところ「国葬反対」を唱えたほうが売れ行きがよろしい。

まして故人は統一教会と結託した稀代の大悪人ということになっております。
叩くほどいい。

かくて平穏無事に記事は書かれ、流すべき画像は編集されていく。
それが国葬反対です。

繰り返しますが言わず語らずのうちです。
野党にも統一教会と関係があるが報じるべきか、などと聞く下っ端はいないし指示する上司もいない。
ですから社として偽装・偏向はない、と言い切れる。

三菱電機や日野とは違うといいたげですが、しかしながら右の2社と違うわけではない。

むしろ改める気がまるでないところは三菱電機・日野にはるか劣る。

コメンテーターは自営業・テレビの好むこと以外は言わない

ではコメンテーターと称するものたちならば、会社に属さぬゆえ臆せず主義信条を語るかといえば、
これは下請外注にも似た存在です、つまり中小企業の法人営業たる私です。

好き放題にしゃべればたちまちのうちに干上がる。
営業に常に本音をいえと迫るに同じで、彼らに硬骨を期待するのは世間知らずです。

下請け外注は社員以上にテレビ局に忖度する

自営業は受注に執着すること社員の比ではない、日々生活がかかっている。

終身雇用なき自営業は座の空気を読んでこそ。

迎合以外いかなるものもありません。

営業にとってはあのコメンテーターこそかねて馴染みの処世で、売り手が買い手を逆なですることなどない好例です。

阪神好きの客を前にして巨人を褒める営業は愚かでしょう。
同じく実は国葬賛成が多いなどと不穏なことをいうはずがありません。

池上彰氏が当代一の上手ですが「ここは反国葬・反自民を求められている」と小回りよく場を察する才あるものが長くコメンテーターとしての座を占めるのです。

池上彰、安倍元首相の「国葬」に違和感 「歴史的評価が定まるのはこれから」 | AERA dot. (アエラドット)
2022年7月8日。安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。にわかには信じられない。そんな状況のなか、手製の銃、旧統一教会と自民党、国葬など、さまざまな情報が流れていく。私たちはこの事件をどう捉え、同種の事…

ジャーナリズムがうまくいくのは「理想半分、商売半分」

ジャーナリズムは、なかば商売なかば理想ぐらいの時が一番売れるもので、つまり半分は嘘とはいいませんが宣伝でありマーケティングです。

女性のアナウンサーの採用は容姿第一からそれとしれます、写真集まで出す。
理想ではなく商売のほうです。

常に赤字だった西部邁「発言者」

言論は信条に忠実たろうとした途端、かねに困るであろう仕事。
反権力なんてとんでもない、会社にすら逆らわないこと上記のとおりです。

明治の頃、著名な記者というより文士はたびたび属する新聞社を変えました。己が説くところと社の言が異なれば居続けはできない。

いまでいうところの契約社員やパートタイマーで、ゆえに銀行はかねを貸しませんでした。
文士が友人知人に金を無心したゆえんです。

居続けるものは生活のためで、「羽織ごろ」と呼ばれました。好んで醜聞を追い、しかも口先と衣食の道は別だからで、当時の新聞記者を蔑んだ言葉です。

今は喜んで貸す、テレビ局・新聞社の社員」だからです。

これは現代も同じで、故 西部邁先生が主催していた雑誌「発言者」の経営は常に赤字であったそうです。

金策に銀行はあてにならず、志ある出資を募ったといいます。

空気を読み続けてワイドショー報道だけが残った

なかば商売も悪くない、処世の辛さを知らない理想一途は怖い。
しかし今や商売100%、ゆえにワイドショーと報道の区別はありません。

報道番組はアナウンサー・キャスターが座長の大道芸・スキャンダルとグロだけ

報道番組・ワイドショーともに大道芸・エンターテイメントで、猿回しや蛇遣いと同じです。

見るものもスキャンダルやグロテスクを求めるもの多く
健康な精神とはそういういやらしいものなのに

民の声は天の声とおだてんがため「知る権利」などあらゆる正義を謳いました。

思いつくかぎりのおべっかをつかった結果、報道番組がワイドショーと化してから数十年になります。

それをよく知ってじつに機敏に立ち回ったアナウンサーが故 筑紫哲也氏です。

「公開処刑」・報道特集、報道ステーションがミヤネ屋と同じワイドショーである理由

見世物の最たるものが公開処刑、この伝統も変わりません。

アナウンサー・キャスターをしてジャーナリストと称する報道番組、

「報道特集(金平茂紀)」
「報道ステーション」

とワイドショー代表のミヤネ屋に共通するお楽しみは文字通り数を頼んでの吊し上げです。

鞭打ち刑・石打ち刑と変わらず、相手が「社会的に死ぬ」までやる。
客も目を吊り上げて喜びます。

なにしろ「民の声は天の声なり」でその代弁者ですから正義です。

ただあの正義はいわば八百長で、見物の期待するものを観せ、見る側も期待通りのものを観る。
悲惨でグロで醜聞です。

お互い言わず語らずのうちに察し合うこと、テレビ局・新聞社の社内で上と下が合意するに変わりありません。

その八百長に我慢できないものはそもそも見ません。
難ずるものはいないので自民党の統一教会は悪で、野党のそれは不問に付して「民の声」などということが平気なのです。

テレビと新聞で報じないものは存在しない・献花でなく反国葬デモが民意の理由

インターネットが出現して少々変わりましたが、

そもそもテレビと新聞で報じられないことはこの世に存在しません。

だからどんな事実があろうとも安んじて反国葬を報じられる。

それが社内の空気でもある、日比谷公園を取材して反国葬ならサラリーマンとして申し分ない。

九段下と四谷駅にいて撮れず書けない社員は気の毒であります。玉川徹氏は親切な人物でわざわざ仕事もプライベートもやることがない人が並んだといって取りなした。

一般献花の大行列に、テレ朝・玉川徹氏「僕は空港に居た。仕事やプライベートがある人はそちらの方に勤しんでるわけでね…」(※動画)
JapanPoliticsChannelさんのツイート 玉川徹、献花に並ぶ長蛇の列に 「僕は空港に居ましたが、…

しかしながら落ちこぼれがなるとされる営業ですら、見積と納品の数字は正確さを厳しく問われる。
事実と違えば面罵され阿呆扱いです。
デモや献花者の人数すら満足に数えられないものを仕事とはいいません。

能無しか、でなければ騙り(かたり)でしょう。

つくづく「空気を読む」
処世のためとはいいながら書けば嫌な言葉です。これを社会人の良識とばかりに口にする手合いでまともなのを見たことがない。

むろん私も阿諛追従(あゆついしょう)で生きています、迎合するものは利を得ても蔑まれる。
当然です。

職業に貴賎はあって、我が生業はなるほど卑しまれるはずと思う次第です。

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