パナソニックが持ち株会社に移行したと報じられています。
かつてのプラズマTV撤退と比べ、これほどの話ながら扱いが小さい。
メディアとは一面水商売、お金がなければ逃げていく。
発表内容にかかわらず記事が少ないのは先行き見込みがないと踏んでいるのでしょうか。
パナソニック、この際松下電器というほうがよいと思いますが、電機関連の営業にとっては印象深い会社です。
販売力も名も、そしてかつては他を圧する現金もありながら、特にここ20年少しづつ力を失い続けていました。
経営道は悪影響がある・松下幸之助がもたらしたもの
経営のことははなからわかりません、ただの営業ですから。
ただ「おおいなる取引先」として近くで見てきたとき落ち目の原因ははっきりしていて、それは故 松下幸之助氏にあります。
かの人の「名言」が世評高くなるにつれ会社は傾いたと思っております。
「経営道」を説いた、商売や競争とはそんなきれいなはずがないにもかかわらずです。
2000年を幾らか過ぎたある日の松下が下請けへの現金払いを止めたという報道は、それはそれはショックな出来事でその後のリストラやプラズマディスプレー事業の失敗よりも大きな話題でした。
直接取引がない業者でさえ我知らず声をひそめて話したものです。それほど悪いのかと。
変わらなかったのは社員の振る舞いで「大松下」の威厳を保ち続けました。
下請けに対し間違いなく他の電機各社とは別格の扱いを求めていた、といってよかったと思います。
そして支払いが手形になったことの重さを理解している人は見る限りいませんでした。
こうなるには訳があり、当時はまだ松下電器は巨きく、何よりも松下幸之助氏の著作は単なる経営手法として以上に人生訓として長くもてはやされていた。あれがいけなかった。
社員もなんとはなしにその体現者のごとく思いかつ振る舞う。しかしあんなものを真に受ければ商売は怪しくなるに決まっております。
商売と道徳は関係がない・競争とはそうしたもの
私のような営業の頭にあるのは売上・利益、つまりお金のことです。
しがない営業というなかれ。
糊口を凌ぐためであれ、あるいは更なる大を成すためであれ、商売とはとどのつまりそのようなもので少しでも儲けようと日々血眼になるものです。
そうしなければ身代(しんだい)は傾きついには潰れる、それが競争であり商売です。
これまで見ていて、苦しくなったとき一番見苦しい泣き言をいうのは決まって「自分はかねのためにやっているんじゃない」と日頃簡単に口にする人間でした。
良い製品を作るのはより売らんがためです、儲けるためです。
「経営道」なんて怪しいものに基づく訳ではありません。
どころか松下ほどの大を成すには常識を超える才智を発揮しなければなりません。
実際に戦後の松下電器が躍進するには大戦中の軍需が大きく貢献しています。
軍需を扱ったことを非難するつもりはまったくありません、そういう時代だったのですから商人(あきんど)ならば誰でも仕事にしたでしょう。
ただ自分の商売をさして世のため人のためと言い、周りがそれを名言・至言と囃すのを当然としたのはまずかった。
大松下の創業者です、そりゃ世間はもてはやします。
しかしあれは時流に乗った大物に対するマスコミのおべっか、媚態です。最近の言葉で言うならば「おもてなし」であります。
本人が気づかないならば周りがあれはお追従だとわかってそれとなく諫めねばならなかったと思います。
松下ほどの会社ならばものの分かった人も居ただろうに、誰ひとり戒めなかったのはそれだけ言われ心地がよかったためだろうとしか言いようがありません。
ついでに言えばたゆまず努力せよ、常に誠実たれなんて別に「道」でもなんでもない。
凡々たる普通人でも大切と知っていることです。
松下幸之助信者の話を聞くたびに、そして自分にとっては金言・箴言であるという人に会うたび、内心これのどこが道徳かと不思議でした。
同社にとって後代明らかに毒となったと思います。
幸之助氏の人生訓にあてられたようなスローガンばかりが目につき、本業はさっぱりでした。
下請は「ナノイーテレビ」「アラサーエアコン」に耐えきれなかった
パナソニックの商談は何度か経験していますが明らかに商品力に不安があり、見込み通り売れるか怪しいものが多かった。
それでいて希望する納入価格は安い、しかも他社よりも打ち合わせの回数が多いなど実に経費が掛かりました。端的にいえばメールで済むような話も行かねばならない。
そこへ「ナノイー発生機付きの液晶テレビ」や「アラサーエアコン」など目を覆いたくなるような企画です。
3Dテレビなどというきわものも同業他社が怪しむほど最後まで続けた。
この有様を営業は自社の内部へ説明出来ません、下請に対しついてこいということに無理があります。
中小企業では営業活動の経費も見積案件の成否も共に死活問題です、殊にリーマンショックの後はそうです。
会話の多くは松下側の担当者しかわからない社内の噂話で終始する。
そして結局メールのやりとりで済むような結論しか出ない打合せでは報告を書くことも出来ません。
「お前何しに行ってきたんだと」と怒られる、法人営業がことのほか嫌がる状況です。
今話題のEV関係も2005年頃すでに車載事業は中京地区に最も多く営業をあてていると言われていました、しかしいつまで経っても業績が伴わなかった。
私もそうでしたが後日赤字と聞いて驚く人はいませんでした。
その払いはとうに手形です、しかも期日は延びています。
中小企業にとって他社に比べ利がある取引ではない、せいぜいが割るのに苦労しない手形というだけです。だから20年かけて下請はだんだん離れざるを得なかった。
それがこんにちです。
営業をしているとよく見るのですが、唐様で描く三代目と言い、大いなる遺産は後代にとってろくなことにならないという見本です。
社長が本を書いたりすると担当営業は身構える、その後良いことがないからです。親類ともいえる三洋電機がそうでした。
私のような営業がまさにそうですが、お金とそれ以上に名声がある相手に対し他人は耳障りの良いことしか言わないからです。
松下幸之助語録とESG・SDGSは似て見える
今年は半沢直樹とかいうドラマが一部で人気でした。愚かしいストーリーで、無論のこと世のため人のためという理由で今まで銀行が貸したことはありません。
そんなことをすれば潰れたでしょう、見込みのないものに貸せば潰れることは金貸しが一番よく知っています。
貸す理由は価値のある担保、つまりは不動産をもっているかどうかです。
世のため人のためどころではない、融資の際に担保があって更に何を求めるか。
借り入れの話がまとまる際、生命保険へ入らされた中小企業の経営者ならばつくづく思い知っていると思います。
銀行もそうですが、実は松下幸之助氏の言葉を思い出したのはSDGSそしてESG投資の話を読んだときです。
世のため人のため、そして環境によいことをすると利潤を生む。
あくなき利益追求を離れて企業も投資も成り立ちませんが、ESGのどこに利を生む仕組みがあるのかいくら説明を読んでもわかりません。
まるでマルチ商法やネットワークビジネスなどねずみ講のパンフレットを読んでいるような気持ちになります。
書きつらねてあることは「環境」「人を大切に」「企業の社会的責任」ばかり。松下幸之助氏の語録と実ににている、営業という商売柄、SDGSやESGを怪しむ理由です。
書いていない儲けの理由をあえていうなら、「皆が投資するから」でしょう。
それなら今まで通り相場の話で株やFXと変わりません、持続可能性どころか遠からず「天井」がやってくる。
「半沢直樹」「下町ロケット」とおなじぐらいうさんくさいESG
ESG投資は未だ定かでない、堅いお客様はそう思っていらっしゃるようです。
その損得定かでないところこそ投資の妙味があるのかもしれませんが、単なる相場ならば堅気は近寄るべきでない。
ともあれあの臆面もないクリーンなイメージは手に負えません、物売りとして言わせていただければ怪しげな儲け話そのものです。繰り返しますが何度説明を読んでも利を生む仕組みがわからない。
ついでにいうと「半沢直樹」と「下町ロケット」は本当に苦痛だった。感動したらしく好んであの話をしたがる人がいて、しかしお客様だと無視もできないので仕方なく見ました。
しかしあれほどひどい出来のドラマもない。
ひとことで言えば全編が安っぽい感動と偽善にあふれております。
SDGS、なかんずくESG投資も良く似ているとしか思えません。
あれらのドラマを観るくらいならば「かねもうけしか頭にないのか」と言われるほうがよほど気が楽です。
そもそも凡たる営業です、経営道にはいたって縁がありません。
それでいいと思っております、みすぼらしいながら一応堅気の商売です。少ない儲けに目の色を変え、あくせくと働くほうが性に合っているようです。