東証システム障害と「ハンコ」文化

週明けからはもうほとんど報道されませんが終日の東証システム障害に私のお客様も驚いておられます。
東証は富士通の責任を問わない方針とのことだそうで、日本社会においてしくじるときは桁外れに大きくやるに限るという好例です。

バックアップが作動しなかったそうです。製造業の場合、開発時に不良ゼロの設計を追求しすぎた時、まま起こる話です。

問題発生時の対策を議論するのは不謹慎

製品開発の際不良やトラブルの防止はコスト抑制以上に大事なところで、

(1)不良率の低い設計仕様

(2)不良が発生した際の対策

を検証することで防止しようとします。
特にカスタム製品の開発は、前例がない部分が多いだけに不良の可能性について繰り返しチェックされます。項目(1)はお得意です。

あるわけのない安全安心を求める社会

この辺りの入念さは日本人の細やかさとして海外のお客様にも大変好評な点ですが、問題は項目(2)であります。
設計仕様を決める熱心さに比べると実際に不良が生じた時の対応についてはあまり議論されない、というより言いづらい雰囲気がある。

不良の可能性を持ち出すこと自体、設計の不備を認めたように見えてしまうとでも言いましょうか。
設計検証をおろそかにした、不謹慎な発言と思われることすらある。

不良ゼロなど数学的にあり得ないのですが、「不良が起こるとわかっているのに設計で対策しないのか?」という言葉は威力がある。

あるはずのない不良ゼロの話を求めたがる人が増えたように思います。

私ども下請からの説明だけではありません、お客様の内部でも判断できる力量を持ったベテランエンジニアが数多く去ったここ20年程ははっきり嫌われる話題であり、お客様のご担当が社内説明に苦慮される部分です。

いい例がシステムの冗長性というやつで報道では気楽に指摘をしていましたが、あの冗長性ほどベテランの知識と経験値が求められるものはありません。
安く、早く開発するということとこれほど相反する要素もないですから。

開発時の東証と富士通のやりとりを聞いてみたい気がします。公表できないから責任を問わない、なんてことはまさかないでしょうが。

なお結果として実際にトラブルが発生した時は「起こるはずのない事故が起きた」理由の説明から始まるため、その分対処は遅れることになります。

不良ゼロという説明の手前、正直に原因を明かせず大きく嘘をついてしまい更に対策が遅れる事例は珍しくありません。
幸い私はやったことがありませんが、善人だからではなくたまたま下請のため立場が弱く隠すことができなかっただけです。

付け加えますとこういった開発習慣でありますから、スケジュールは予定より延び、予算はオーバーし、売るべき時期に製品を出せないことが多い。
日本の製造業は高コストかつスピード感に欠けると言われる所以のひとつです。

ハンコは責任回避の重要な手段

面白いもので、開発が終わる頃にはお客様も私ども下請けもある意味運命共同体になります。

不良が出ればお客様も下請も連帯責任といった雰囲気です。
こういう時喜ばれる営業はどう立ち回るべきか、社内外を問わずなるべく多くの人を巻き込むようにします。

DXなんぞでハンコがなくなるわけがない

ひらたく申さばお客様・自社を問わず出来るだけ多くの人に「ハンコを押していただく」のです。
営業として出来るだけ多くの皆様に責任を分担して頂けるようにする。

エンジニアリングとは何の関連も無いことは存じております。
しかし実はこれは私たち法人営業の仕事としてはとても重要でして、お取引先の事業部様やご担当者様から期待される動きです。

メール1本だってかまいません、開発・品質管理・購買部門など関連するお客様の部門全てから、何らかの「ご承認の文書」「捺印」を取り付けようものならよくやってくれたと大変喜ばれるのです。
多分社内調整の上手といわれ「気が利く」と褒められる社員はだいたいこのようなもの。

ハンコを押せば皆仲間。責任をわかちあう母数を増やすことは、我が国では安心を担保する最善の方法なのです。
こういった環境下で、事故が起きた時のバックアップを前もって語ることなど出来ましょうか。

3流どころか5流ながらも20年営業をしてきたのです。DX(デジタルトランスフォーメーション)なんて、ですからちゃんちゃらおかしいと思っております。
あんなもの、20年前の電子認証と同じで投資するだけ無駄というものです。

なお製造業で事故や不良が起きた時、最初は誰も手をつけられません。
まず全員が集まってお互いのカオを30分ぐらい見つめ合います。誰が最初に承認したのかその確認から始まるのです。

真っ先に対策案を述べようものなら「お前わかっていて何故開発時点で指摘しなかったのか」とやられますから皆黙っている。

かといって下手に誰かの責任を問えば何が起こるかわかったものではない、東証だって心情としては原因追求をやりたくはないでしょう。

日本では想定外を語ることは「不謹慎」

かつて東日本大震災の時「想定外」という言葉が流行りました。安全・安心の対義語です。
あれがいい例です、想定外は許さない。
そんなことはいかなる人間であろうとも不可能ということは許されない。だからもっと大きな事故が起きるのです。

東電や原子力行政の出鱈目ぶりはさておき、あの規模の天災がいつ起こり、どんな被害をもたらすか予測することなど現在でもできませんが、そんなことはお構いなく想定外はいかん、不謹慎だとやったのです。

旗振りは例によって正義と人命第一が大好きなメディアと芸人・知識人です。彼らとてロクな知見もないことは、沖縄に逃げれば放射能は避けられると思ったあたりでわかる。
チェルノブイリの被害をみれば福島から沖縄まで指呼の間にすぎないのですが。

ともあれそんな連中が騒ぐことですから最初から語られるべき内容はわかっている。言っていいことは限られるので新たな対策も出ません、利口者ほど黙っている。
不測の事態は業種・分野を問わず日本社会の最も弱い部分です。

繰り返しますが似たような天災が起きればこれからも同じような事故が起こるでしょう。

我が身にひきかえてわかる話です、会社では意見など言わずできるだけ責任を分散する努力をするに限る。

意思決定のスピードを上げたいならいっそハンコだらけにせよ

ですから「ハンコ」は残ります、デジタル化で物体としてのハンコは消えるかもしれませんが文化は脈々と生き続ける。
昨今人気の仕事術とやらを読む限り、むしろ必要性は高まる方向ではないかとさえ思えてきます。

押す手間や紙の量など生産性や効率の話ばかりですが、本質は責任や権限に対する私たちの考え方ですから。

今後どんなかたちになるのかはわかりません、ただ役所が脱ハンコを掲げているので減るのでしょう。
その代わり議事録を隠すとかとんでもないことが起きるのではないかと少々不安になります。

少なくともある期間意思決定のスピードはむしろ遅くなるのではないかと本気で恐れています。
相当以前から電子承認のシステムを有しておられるにもかかわらず、現在大手のお客様で書類の社内承認に掛かる時間は大体1ヶ月前後です。

どうでもよい事案はともかく、重要な案件でしかも他の部門がハンコを押してない書類を誰が最初に承認するというのでしょうか。自分の勤め先を考えればわかる話です。

いっそのことハンコ廃止などせず、もっと山ほど押したらいい。
それこそ誰が押したか一目でわからないぐらい。
そのほうが気持ちが楽になって諸事スピードが早くなり生産性があがるのではとなかば本気で思います。

このような感じで。
これなら最初に言い出したのは誰だか分かりません。古人の叡智です。

傘型連判状:生駒市指定文化財・慶応4年(1868)

誰が最初に承認したかわからなくなる書式ですからどんどん押してくれると思います。

いや、私の希望はなるべく最後に押したい。
どうせ最初から最後までずっと小突き回され続けるのは営業なので。

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